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紡ぐ

紡ぐという言葉がある。
広辞苑では、「綿または繭を糸縒車(いとよりぐるま)にかけ、その繊維を引き出し、撚(より)をかけて糸にする。」とある。
人は、普段の生活の中で実際の糸を紡ぐことはなく、形容的な意味で使用することが多い。例えば、心の糸を紡ぐとか、 言葉を紡ぐとか、不思議なもので、手で紡がなくとも、心でもその思いを紡ぐことが出来るという不思議な言葉である。
それは蜘蛛が糸疣(いといぼ)から細い沢山の紡いだ糸をはきだして、蜘蛛の巣を創り上げる作業にも似ている。
普段の生活でも、日記を付けたり、手紙を書いたり、勤め先の仕事で文章を書いたり、創作で文を書いたりと、 文字という糸を紡ぐことで完成作品としての織物をしているのである。
また、文字にしなくても、普段から様々な思いや、話すたびに口をついて出る言葉ですら、心の中での言葉という糸を紡ぎ、 自分独自の織物を完成しているのである。その時々の多様な感情の変化や季節の移ろいや、おかれた環境などによっても、 人は複雑な言葉の紡ぎ作業を行って、織物を完成させる。
しかし、そのような作業は、意識していてもいなくても、立派な表現という織物の形となって相手に伝わり、 その複合体という人類の織物として文化や文明を築き上げてきた。
旧約聖書の「創世記」11章に、「さて、全地は、一つのことば、一つの話しことばであった。
そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。
彼らは互いに言った『さあ、れんがを作ってよく焼こう。』彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。
そのうちに彼らは言うようになった。『さあ、われわれは町を建て、頂きが天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。』
そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。
主は仰せになった。
『彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思う事で、とどめられることはない。
さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。』
こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。
主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。」という、 有名な『バベルの塔』の話のとおり、神は一つの言葉の糸を、沢山の種類の言葉の色糸にかえられた。
しかし人々は神の色糸を世界中で様々な糸として紡ぎそして織り、人類の文化・文明という織物を完成させたのである。
(中欧アジア・ウズベキスタンの絨毯を織り続ける女性)
(中欧アジア・ウズベキスタンの絨毯を織り続ける女性 その2)
(中欧アジア・ウズベキスタンの絨毯を織り続ける女性 その3)