『ウズベキスタン/ブハラ』
この美しいミナレットは、シルクロードを旅するキャラバンの道標としての役割や、夜は塔に明かりを灯し、陸の灯台の役割も果たすことから「光の塔」と呼ばれた。
また、イスラム教徒への祈りの合図を行うことや、物見の役割も担っていた。
さらに18世紀、19世紀には死刑囚の死刑執行の塔としての役割も果たしたことから、「死の塔」とも呼ばれた。
死刑は塔頂部の窓から袋に詰めた死刑囚を、下に突き落とすのである。
最後の死刑が執行されたのは1884年とされる。
カラーン・モスクは、1121年にトルコ系遊牧民族のイスラム王朝であるカラハン朝の時代に立てられた。
そのモスクに1127年ミナレットが併設され、現在のカラーン・ミナレットとして完成した。塔の高さはおよそ46m、その基部は直径が9mで、地下10mに埋められ、 基礎部には補強用に自然素材の接着剤が使われている。塔の内部は空洞で、104段の階段が螺旋状に上部展望台に通じ、そこには16の窓がある。
その後ブハラは、1206年モンゴル諸部族を統一したチンギス・ハーン率いるモンゴル軍の中央アジア侵攻によって、1220年2月に陥落させられたが、 このミナレットは破壊を免れている。
私は2023年10月11日ここを訪れ、このミナレットを見上げながら、当時のモンゴル帝国の軍事活動の激しさを思えば、 この塔が破壊を免れたことは奇跡に近い出来事に思えた。
その時のモンゴル軍の本陣には、チンギス・ハーンその人がいたはずである。破壊を免れた理由には、 もしかしたら最高指揮官であるチンギス・ハーンの、何らかの意思が働いていた可能性がある。
こうした戦禍を免れた文化財の多くは、人々に平和の意味を訴えかけているかに思われる。
人類の歴史は戦いの歴史でもある。宗教や民族の違い、他にも様々な紛争から、内乱や動乱や戦争に発展し、大切な人命や、貴重な自然や文化財を破壊する愚かな行為を、 過去から現代まで幾度となく繰り返して来ている。
恐らく今後未来に向かっても、人類は戦いの歴史を積み重ねていくに違いない。
創造と破壊をくり返す人類の歴史に、もしも歯止めが利くものがあるとすれば、過去の戦禍を免れた自然や歴史的な文化財に、 頭(こうべ)を低く垂れて、戦争の忌避や平和の尊さを学ぶことが、今、私たちがなすべき最重要課題ではなかろうか。
カラーン・ミナレットはいまこの時も、ブハラの乾いた風と澄み渡る青空の中に毅然とそびえ、人類の行く末を見つめ続けている。
ウズベキスタン・ブハラのカラーン・ミナレット(尖塔)
ウズベキスタン・ブハラのカラーン・モスク
参考資料: | 「砂漠と草原の遺産 中央アジアの文化と歴史」香山洋坪著 |
「文明の十字路=中央アジアの歴史」岩村忍著 | |
「シルクロード世界史」森安孝夫著 | |
「一生に一度は”絶対”行きたい 世界遺産Top45」小林克己著 | |
「世界の歴史6」角川まんが学習シリーズ |