『モロッコと12世紀ルネサンス』
また、宗教に関しては9割以上がイスラム教徒である。
そもそも、なぜこの北アフリカの地に、アラブ人が居住するようになったのか。
それは、アラブ世界における、民族闘争の歴史を紐解かなければならない。
そして、モロッコはアラブの文化・文明が西洋の文化・文明の発展に、大きく寄与する架け橋となったことを伝えなければならない。
イスラム教の成立は、メッカにおいて、ムハンマドが信仰を説き始め、622年メディナで教団を設立したのがイスラム紀元元年とされている。
ムハンマドの死後に、イスラム教徒によるアラビア半島の統一が完了した。
また、642年にはササン朝ペルシャを破り、イランに進出し西アジアへと勢力を拡大していった。
正統カリフの時代に、内戦があったが、661年にウマイヤ朝が成立した。政治の中心はシリアのダマスカスに移された。
その後、カリフの継承問題に端を発して、各地で反乱が起き、750年、ウマイヤ朝の都ダマスカスが陥落し、王族の殆ども殺害された。
その結果アッバース朝が成立した。
アッバース朝がウマイヤ朝を滅ぼした後、政治の中心は、シリアのダマスカスからイラクのバグダードに移り、イスラム教国最大の都市となった。
アッバース朝は、アラブ人だけの構成ではなく、イラン人やトルコ人も受け入れ、さらに西アジア全域を支配する大帝国として成長していった。
このアッバース革命に先んじて、711年イベリア半島に侵攻したウマイヤ朝のアラブ・ベルベル合同軍が、西ゴート王国最後の王リデリックを破り、西ゴート王国は滅亡した。
ウマイヤ朝は、アッバース朝に滅ぼされる前から、東進のみならず西進することで北アフリカを征服した。
その後、ウマイヤ朝がアッバース朝に滅ぼされたおりに、アッバース朝の執拗な残党狩りを逃れたアブド=アッラフマーンは、母親がベルベル人だったことから、
モロッコのベルベル人に迎えられ、さらに755年ウマイヤ朝の旧臣の援助を受けて、イベリア半島で勢力を拡大し、756年スペインのコルドバに後ウマイヤ朝を再興した。
アブド=アッラフマーン3世のときに、後ウマイヤ朝は全盛時代を迎え929年カリフの称号を名乗り、「西カリフ帝国」ともいわれるようになった。
この頃の首都コルドバは、西方イスラム文化の中心地となり、一大文化都市として、西欧からの留学生なども受け入れ、独自の発展を遂げた。
しかし、10世紀に最盛期となった後ウマイヤ朝は、第三代カリフのヒシャーム3世の時に、地方のイスラム教勢力が反乱を起こし、1031年に滅亡した。
その後は、セビリア、グラナダ、トレド等のタイファと称する小王国が分立して、混乱を極める状況となり、 キリスト教徒の国土回復運動(レコンキスタ)が攻勢を強めてくることとなる。
カスティーリャ王国によって、1085年にトレドが奪回され、12世紀から13世紀はトレド翻訳学派(キリスト教徒聖職者を主体にして、 ユダヤ人、ユダヤ教からキリスト教への改宗者コンベルソ、モサラべと呼ばれるアル=アンダルスのキリスト教徒など)の学者集団が、 アッバース朝時代に、バグダッドに作られた『智恵の館(バイト=アルヒクマ)』でギリシャ語からアラビア語に翻訳された文献を、 さらにここでスペイン語、更にラテン語に翻訳する作業が行われた。
また、トレド翻訳学派の翻訳は、カスティーリャ王アルフォンソ10世の奨励で、カスティーリャ語(現在のスペイン語)にも翻訳されて、 さらにその拠点もセビリア等にも設立された。
このトレド翻訳学派の活動は、イスラム文明との接触によって得た知識であるユークリッド幾何学、プトレマイオスの天文学、古代ギリシャやローマの哲学、医学、数学、神学、農学など、が西欧に伝わり、当時の知識と融合することで、最近では12世紀ルネッサンス(イタリア/シチリアで行われたビザンツ帝国の文献の、ラテン語への翻訳事業を含めた影響)なしに、14世紀ルネッサンスはありえなかったとも言われるようになった。 モロッコを経由して、イベリア半島に進出したイスラム教徒の活動が、中央ヨーロッパやそれ以後の世界の歴史に果たした影響と役割は計り知れない、 大きな価値を残す結果となったのである。
中東を中心に発展を遂げたイスラム教徒が、北アフリカの地に支配域を広げ、イベリア半島に渡った経緯は、アラブ世界における民族闘争が、大きなきっかけとなっている。
時の流れに、もし神の意思が働いているとすれば、モロッコを経由しジブラルタル海峡を渡り、 スペインで大きな木として成長を遂げ、後に西洋世界でルネッサンスという大きな花を咲かせる一役を担ったイスラム教徒の役割は、 正にその一つであるかも知れない。
(サハラ砂漠/モロッコ)
(サハラ砂漠・ラクダの群れ/モロッコ)
(カスバ街道沿いの町/モロッコ)
(青い町・シャウェン/モロッコ)
(トドラ峡谷/モロッコ)
(大宰相の私邸・バヒア宮殿/モロッコ・マラケシュ)
(マラケシュのランドマークであるムーア様式のクトゥヴィア/モロッコ・マラケシュ)
参考資料: | 「スペイン史10講」著者:立石博高 |
「スペイン・ポルトガル史 上」著者:立石博高 | |
「これ一冊 世界文化史 ユダヤ教誕生からルネサンス篇【分冊版】」著者:村山秀太郎 |