『アブ・シンベル神殿』
古代エジプトの至宝がダム湖に沈む危機にあった。
その原因となったのが、アスワン・ハイ・ダムの建設である。
そのあたりの事情を少し述べたい。
1952年、エジプトは軍事組織「自由将校団」を中心としたクーデターによって「エジプト王国」が倒れ、
翌1953年に「エジプト共和国」が樹立された。
クーデターの中心人物のひとりでもあったナセル(ガマール・アブドゥル=ナセル)は、 当時国民の悲願であった、エジプトを占領していたイギリスと交渉を行うことで、ついに1954年10月19日イギリス軍の全面撤退を実現し、 国民からの大いなる支持を獲得した。
そして当時首相であったナセルは1956年6月23日、国民投票により大統領に就任した。
エジプト革命を成功させた「自由将校団」メンバーのナセルが、次に目指したのはエジプトの近代化であり、 そのための治水によるナイル川の安定化や、人口の増加や工業の近代化に向けたエネルギー政策のための、 ナイル川上流のアスワン・ハイ・ダム建設であった。
1960年アスワン・ハイ・ダムの工事が着手されたが、そのダム建設によって人造湖(ナセル湖)ができた場合、 その貯水量が及ぶ範囲は南西550㎞まで広がる可能性があり、 アブ・シンベル神殿(ダムからおよそ300㎞離れた上流にある)や古代遺跡が水没する恐れのあることが判明したのである。
この危機を救うために、ユネスコが中心となって国際的なプロジェクトが立ち上げられた。
ヌビア遺跡救済のために立ち上がったユネスコとその加盟国およそ30カ国が資金繰りや、移設の企画立案を行った結果、 神殿を岸壁から小さなブロックに切り分け、水没の危険性がない高さまで移設することが決定された。
この水没の危機にあるアブ・シンベル神殿(大神殿、小神殿の総称)は、古代エジプト史上最も偉大な、 新王朝時代・第19王朝「王の中の王」と言われたラムセス2世によって、エジプト最南端のヌビアに建築された岩窟神殿であった。
神殿建築はファラオの偉大なる力を、ヌビア地方やほかの国に知らしめる権力の象徴としての存在意義もあった。
ラムセス2世本人の大神殿と、結婚25周年を記念して、正妃ネフェルタリ・ネリトエンムト (名前の意味は「美しい人・女神ムトに愛される人」、ラムセス2世が皇位継承前に結婚した最初で最愛の正妃) のために建てたといわれる小神殿とが並んで建てられた。
ラムセス2世には、現代の常識では量れないが、当時は普通に行われていた近親婚を含め、8名(判明しているだけで実の娘3人、 実の妹1人、ヒッタイトの王妃2人)以上の妻がおり、その子供にいたっては100人以上いたとされている。
ラムセス2世の治世は、父セティ1世との共同統治期間を含めると70年間近くも続き、その業績は版図拡大のほか、 数多くの神殿を建造したファラオとしても歴史にその名を刻んだ。
アブ・シンベル大神殿の奥には、最も神聖なる「至聖所」と呼ばれる場所があり、4体の像が祭られている。
向かって左側からプタハ(鍛冶や彫刻の神/地底神とも)、アメン(豊穣の神)、ラムセス2世(ファラオ)、 ラー・ホルアクティ(光の神)があり、入り口を通過した朝日が、毎年2月22日と10月22日にこれらの像に射し込むのである。
この神殿移設のために、切り出されたブロックは1000以上のパーツに切断され、元の場所から背後の岸壁の、 高さおよそ60メートルの場所に組み上げられたのである。
この移設工事ではアブ・シンベル大神殿は、同方向そして同高低差に調整され、ついに1968年9月22日落成式が行われ、 現在の高台に無事移築されたのであった。
エジプト政府は、アブ・シンベル神殿以外にも、水没の可能性のあった遺跡についての救済策として、 エジプトからの国外持ち出しを許すことで、オランダやアメリカなどにその許可を与えた。
ユネスコのエジプトにおける遺跡移転の大事業は、これ以後の世界遺産制度構築の産声を上げるきっかけとなった。
ヌビア遺跡救済キャンペーンの次は、インドネシアのボロブドゥールもそうであった。
このようなユネスコの取り組みから、世界中の文明の象徴である文化遺産を保護するとともに、 19世紀自国にイエロー・ストーン国立公園をつくり、自然保護の実績をもつ米国の協力で、 1972年パリの第17回ユネスコ総会において、文化遺産と自然遺産を一本化した世界遺産条約が生まれた。
ユネスコ憲章前文に、魂に響く一節がある。
「・・・戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。・・・」。
現在ユネスコ世界遺産条約加盟国は195カ国である。
私がこの至聖所を訪れたのは、2024年2月23日だったが、画像の通りラムセス2世像を中心に、朝日が見事に射し込んでいる。
3000年以上前の、古代エジプトの驚くべき建築技術の高さを目の当たりにして、胸が震えるような感動を覚えた。
今回エジプトの旅は、世界遺産の存在意義と、未来へのバトンを繋ぐための、平和のとりでを自分の中に築き、 自分なりに表現することが大事であることを痛切に感じたのである。
その原因となったのが、アスワン・ハイ・ダムの建設である。
そのあたりの事情を少し述べたい。
クーデターの中心人物のひとりでもあったナセル(ガマール・アブドゥル=ナセル)は、 当時国民の悲願であった、エジプトを占領していたイギリスと交渉を行うことで、ついに1954年10月19日イギリス軍の全面撤退を実現し、 国民からの大いなる支持を獲得した。
そして当時首相であったナセルは1956年6月23日、国民投票により大統領に就任した。
エジプト革命を成功させた「自由将校団」メンバーのナセルが、次に目指したのはエジプトの近代化であり、 そのための治水によるナイル川の安定化や、人口の増加や工業の近代化に向けたエネルギー政策のための、 ナイル川上流のアスワン・ハイ・ダム建設であった。
1960年アスワン・ハイ・ダムの工事が着手されたが、そのダム建設によって人造湖(ナセル湖)ができた場合、 その貯水量が及ぶ範囲は南西550㎞まで広がる可能性があり、 アブ・シンベル神殿(ダムからおよそ300㎞離れた上流にある)や古代遺跡が水没する恐れのあることが判明したのである。
この危機を救うために、ユネスコが中心となって国際的なプロジェクトが立ち上げられた。
ヌビア遺跡救済のために立ち上がったユネスコとその加盟国およそ30カ国が資金繰りや、移設の企画立案を行った結果、 神殿を岸壁から小さなブロックに切り分け、水没の危険性がない高さまで移設することが決定された。
この水没の危機にあるアブ・シンベル神殿(大神殿、小神殿の総称)は、古代エジプト史上最も偉大な、 新王朝時代・第19王朝「王の中の王」と言われたラムセス2世によって、エジプト最南端のヌビアに建築された岩窟神殿であった。
神殿建築はファラオの偉大なる力を、ヌビア地方やほかの国に知らしめる権力の象徴としての存在意義もあった。
ラムセス2世本人の大神殿と、結婚25周年を記念して、正妃ネフェルタリ・ネリトエンムト (名前の意味は「美しい人・女神ムトに愛される人」、ラムセス2世が皇位継承前に結婚した最初で最愛の正妃) のために建てたといわれる小神殿とが並んで建てられた。
ラムセス2世には、現代の常識では量れないが、当時は普通に行われていた近親婚を含め、8名(判明しているだけで実の娘3人、 実の妹1人、ヒッタイトの王妃2人)以上の妻がおり、その子供にいたっては100人以上いたとされている。
ラムセス2世の治世は、父セティ1世との共同統治期間を含めると70年間近くも続き、その業績は版図拡大のほか、 数多くの神殿を建造したファラオとしても歴史にその名を刻んだ。
アブ・シンベル大神殿の奥には、最も神聖なる「至聖所」と呼ばれる場所があり、4体の像が祭られている。
向かって左側からプタハ(鍛冶や彫刻の神/地底神とも)、アメン(豊穣の神)、ラムセス2世(ファラオ)、 ラー・ホルアクティ(光の神)があり、入り口を通過した朝日が、毎年2月22日と10月22日にこれらの像に射し込むのである。
この神殿移設のために、切り出されたブロックは1000以上のパーツに切断され、元の場所から背後の岸壁の、 高さおよそ60メートルの場所に組み上げられたのである。
この移設工事ではアブ・シンベル大神殿は、同方向そして同高低差に調整され、ついに1968年9月22日落成式が行われ、 現在の高台に無事移築されたのであった。
エジプト政府は、アブ・シンベル神殿以外にも、水没の可能性のあった遺跡についての救済策として、 エジプトからの国外持ち出しを許すことで、オランダやアメリカなどにその許可を与えた。
ユネスコのエジプトにおける遺跡移転の大事業は、これ以後の世界遺産制度構築の産声を上げるきっかけとなった。
ヌビア遺跡救済キャンペーンの次は、インドネシアのボロブドゥールもそうであった。
このようなユネスコの取り組みから、世界中の文明の象徴である文化遺産を保護するとともに、 19世紀自国にイエロー・ストーン国立公園をつくり、自然保護の実績をもつ米国の協力で、 1972年パリの第17回ユネスコ総会において、文化遺産と自然遺産を一本化した世界遺産条約が生まれた。
ユネスコ憲章前文に、魂に響く一節がある。
「・・・戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。・・・」。
現在ユネスコ世界遺産条約加盟国は195カ国である。
私がこの至聖所を訪れたのは、2024年2月23日だったが、画像の通りラムセス2世像を中心に、朝日が見事に射し込んでいる。
3000年以上前の、古代エジプトの驚くべき建築技術の高さを目の当たりにして、胸が震えるような感動を覚えた。
今回エジプトの旅は、世界遺産の存在意義と、未来へのバトンを繋ぐための、平和のとりでを自分の中に築き、 自分なりに表現することが大事であることを痛切に感じたのである。
アブ・シンベル大神殿のファサード/4体のラムセス2世像
2024年2月23日:ラムセス2世、アメン、若干ホルアクティに朝日が当たった瞬間
アスワン・ハイ・ダム建設によってできた巨大ナセル湖
参考資料: | 「世界遺産 理想と現実のはざまで」中村俊介著 |
「古代エジプト解剖図巻」近藤二郎著 | |
「決定版 ゼロからわかる古代エジプト」近藤二郎監修 | |
「知識ゼロからのエジプト入門」近藤二郎著 | |
「古代エジプトの謎 ツタンカーメン・クレオパトラ篇」吉村作治著 | |
「古代エジプト 失われた世界の解読」及川博一著 | |
「古代エジプト 誕生・栄華・混沌の地図」ナショナルジオグラフィック・河江肖剰 日本語版監修 | |
「ゼロからわかるエジプト神話」かみゆ歴史編集部著 |